研究を救え運動---不安定雇用化と反知性主義に抗して

0.3月19日

 3月19日午後、フランスの研究界者達を中心とした運動団体「研究を救え!」(Sauvons la Recherche !、以下SLR)の主催したデモ行進は主催者側の予想を超える人数を集めていた(主催者発表25000人、警察発表9500人)。デモ隊は「フランスの研究は崖っぷちにある」など様々な訴えと共に、コシャン研究所、ソルボンヌ、コレージュ・ド・フランス、パリ第七大学とそれぞれの場所で開かれていた関連集会の参加者を吸収しつつマドレーヌ寺院まで行進した。この日各地の都市でも同様の行進が行われた。参加者は多様化しており、運動が当初の理系研究所から諸大学の人文社会科学関係者、一般学生へと拡大したことが実感された瞬間であった。また、この10日前には政府に抗議の意を表明するため、同運動の呼びかけで大学及び研究所の研究者千人以上が管理職ポストを集団辞職していた。一体、今、フランスの研究界で何が起こっているのだろうか?


1.発端と経緯

 直接の契機は2003年12月10日、フランスの研究業界を憂える二人の生物学者同士による一本の電話だった。以前から仏研究業界は給与や安定雇用の問題において問題を抱えていたが、それが特に2002年における中道右派のラファラン政権誕生後、急激な悪化を遂げていたのだった。地方分権化や政府のスリム化などのかけ声の中研究予算は減額し続け、2002年、2003年と続けて前年度比10%の減額にあっていた。そればかりか政府は2004年に公共セクターの研究所における550のポストを任期制(CDD)に転換する方針を打ち出していたのだった。この二人のうち一人が、後に団体SLRのスポークスマンを勤めることになるコシャン研究所の生物学者、アラン・トロトマン(Alain Trautmann) である。

 二人は早速行動に出ることにした。12月17日に有志を集めた最初の総会があり、取るべき方策について話し合いが行われた。当初の案は各研究機関における業績評価業務のストという控えめなものだったが、次第に話が大きくなった。そしてついに、「管理職ポストについている研究者が一斉に、管理職としての身分を辞職する」という途方もない計画が提案されるに至った。提案があった瞬間、その場に一瞬の沈黙が訪れたという。

  公的セクターに属する研究所や大学に勤める研究者はまず第一に「研究者」でありかつ「公務員」である。その上に研究所長など、事務的な「管理職」としての肩書きが加わることになっている。この「管理職」部分の辞職とは何を意味するのか?具体的には研究費による資材物品の購入を行ったり、出張命令書に署名したり、定期的な活動報告書を提出する権利を失うということである。また、国家研究費とは別の企業や地方自治体、欧州に由来する資金などにも手をつけられなくなる。だが、誤解してはならないのは、「管理職」でなくなっても「研究者かつ公務員」の地位は保持されるということだ。従って、書類が書けなくとも研究プロジェクトを遂行したりセミナーを行ったりする事に問題はない。そして、大事なのが給料の問題だろう。フランスの公的機関研究者の管理職ポストは一切の賃金上乗せを伴わない名誉職的なものであり、彼等は基本的に研究者かつ公務員であることにより稼いでいるのだ(1)。従って「辞職」により給料は何の影響も受けない。また、辞職届が機関に受理されるまでには時間があるのですぐに混乱が起きるわけではなく、通常通り業務を行いながら準備することが出来る。これらの全ての点に目を付けた辞職計画は非常な知能犯であったといえる。とはいえ、集団辞職というのは歴史的に未だかつて無い試みであり、企画者側にとっても大変な賭であった。それほどに切迫した状況があったといえよう。

 1月7日、「研究を救え!」と題された署名請願書が一般公開された。文書は先行する150の著名人を含む署名と共に、過去の予算凍結分の即刻支払い、若手研究者のポストの増設、そして研究活動をめぐる全国規模の討論会の三目標を掲げており、これらが実現されない場合に集団辞職を断行すると宣言していた。SLRが腐心したのは、問題が理科系研究者という特殊な集団に限られたものでないことを示すこと、とりわけ予算獲得のためのロビーイングの類と混同されないようにすることであった。

 著名人の名や集団辞職宣言のインパクトもあり、メディアに掲載されると署名数は飛躍的に増加した。1月10日には900であったのが2月12日には45000に達していた(3月22日現在295658)。パリの生物学者コミニティを越えて運動は広がろうとしていた。


2.安定雇用にNo, 競争的資金にYesのラファラン政権

 運動が広がりを見せて以後政府は様々な妥協懐柔策を打ち出し始め、まず凍結資金の問題については比較的早く決着が着いた。しかしながら他の点に関する政府との交渉は難航をきわめた。例えば、2月27日に研究問題担当相C.エニュレが120の安定雇用ポスト創設と奨学金採用者の増大、任期制になる550のポストに対する給与増額などを打ち出し、3月6日にはラファラン首相が2005年から2007年にかけて毎年10億ユーロの予算を研究に投下すると約束してSLR側を驚かせた。しかしこれらはいずれも運動側の重要な獲得目標である安定雇用、すなわち任期制にされてしまう550のポストを安定雇用に戻し、かつ100数個の安定したポストを大学に設けよという要求に答えるものではなかった。またSLR側の主張によると、3年間で30億ユーロという約束は2000年のリスボン会議に由来する欧州の指針、すなわち2010年までにGDPの3%を研究予算に充てるという合意を焼き直したものでしかないという。そして更に悪いことに、財源も不確かなこの30億ユーロを、雇用にではなくアメリカの国立科学基金(NSF)のような研究評価機構の創設と運営に投入するとの考えが大臣から口答により伝えられていた。機構はプロジェクトを国際基準で評価選択し資金投下を行うためとされたが、既存の主要な研究所が既に同種の機能を果たしている現状で、その上更に官僚機構をもう一つ付け加えるというのは非効率で説得力の無いものであった。結局明らかになったのは、任期制雇用の奨励と選別機能の強化、すなわち流動性と競争促進のためには資金投下を厭わないが安定雇用には金を出したくないという政府の基本姿勢であった。「30億もいらない。2千万ユーロあれば550の安定雇用ポストが得られるのに」と研究者達は憤った。

 理系・文系を問わず、フランスの博士課程学生とポスドク達の生活は苦しい。理系と文系とで若干の差はあるが、いずれにせよ充分な奨学金もポストの数も少ないため博士号を持ったポスドクが月1500ユーロ前後の給料しかもたらさない任期制のポストに甘んじている。しかもその多くが研究の時間を割いてアルバイト(時には不法な)をしており、退職金の積立も行わず社会保障にも加入していないという状況にあるのだった。


3.仲介者の出現から集団辞職まで

 交渉が難航する中、仲介役を買って出た人々がいた。2月27日における政府提案却下の報を受け、科学アカデミーのE.-E.ボリューとE.ブレザンは個人の資格で即刻行動に出ることにした。彼等は翌28日に、研究の未来を話し合うための政府から独立した委員会を創設することを提案し、SLRに参加を呼びかけたのである。当初からトロトマンらは研究のための全国討論会を企画する予定でいたため提案に乗る事自体は困難でなかった。委員会構想は3月3日に科学アカデミーで圧倒的多数を得て可決され、SLRからも支持を得た。そして「研究イニシアチブ及び提案委員会」(CIP)と名付けられた。

 だが、仲介者の出現にも関わらず、政府から譲歩を引き出せないまま3月9日を迎えた。当日正午、パリ市庁舎の裏手広場には数千人の人々が集まり、ドラムや金物で抗議の騒音をならし「辞職!」と叫びながら事態の進展を見守っていた(主催者発表13000人、警察発表5300人)。SLRはパリ市長の支持のもと借り切った市役所2階の宴会場に管理職研究者達を集め、最後の意見調整を行った。そして14時、市役所の窓に会場での辞職者率を知らせる紙が意気揚々と掲げられると広場は歓喜の声に満ちた。その場にいた98%が辞職し次々と地方からも辞職届が送られてきていたのだった。この日、合計で976名の研究部局長、1100名の研究チーム責任者が集団辞職した。調査機関CSAの世論調査によると82%が運動への支持を表明したという。


4.背景---反知性主義に抗して

 実は、トロトマンらは「研究を救え」以前にも様々な署名運動に関わっていた。現在SLRのサイトともなっている「危機にある科学」サイトは彼が同僚達と2003年3月に設立したものである。だが、いずれの署名も2000を越えて集まるにはいたらず、理系科学者達の細々とした運動に留まっていた。変化が目に見える形で現れてきたのは2004年になってからである。ラファラン政権発足以来、芸術興行関係者、教員、裁判官、そして研究者と多くのセクターがそれぞれ個別の事情から異議申し立て運動を行ってきていたが、それらが一つに合流する兆しが現れたのだ。

 その最も象徴的な出来事は雑誌『レザンロキュプティブル』(Les inrockuptibles)による署名運動だろう。同誌は映画、音楽、演劇、文学など芸術一般を扱う若者向けの雑誌であるが、2月18日号において「知性に対する戦いに抗するアピール」と署名者8000名のリストを発表したのだった。署名リストには哲学者J.デリダ、E.バリバール、社会学者A.トゥーレーヌ、映画作家フランソワ・オゾン、左派政治家M.ロカールなど著名人を初めとして、教員や研究者、ジャーナリスト、弁護士、芸術関係者、精神分析家など「知的職業」に携わるさまざまな人々が名を連ねていた。この署名運動自体はもともと2003年11月に行われた人権擁護連盟の秋の学校における、CNRS(国立学術研究センター)の芸術社会学者M.-J.モンザンの提案に着想を得ており、同誌の記者とラジオ局フランス・キュルチュールの関係者により実現されたのであった。署名運動のアピール文は「予算不足の大学と機能不全に陥った研究所は似てる。不定期契約の芸術興行関係者と不安定な身分の博士課程学生は似てる…」と始まり、これまでバラバラの問題に見えていた個別事例が実は共通の側面を持っていることを強調していた。そして「我々が立ち会っているのは、非常に一貫した政策がおこなれている局面」であり、その政策が、国家による「不採算部門」の切り捨て、その一方での競争を煽るための選別基準の強化(例えば精神分析家の国家資格創設など)の二点に要約されることを示したのであった。

 教員や研究者、芸術関係者、裁判官、精神分析家、更にはジャーナリストまでを射程に入れたアピール文はやや大風呂敷を広げすぎたきらいもあったが、彼等が共通に直面している困難とそれに対する怒りの表明として一定のインパクトを与える役割を充分に果たした。署名はその後70000以上が集まり、同誌は3月3日号でそのうち50000人分の署名とトロトマンのインタビューを載せてSLRとの連携も示した。大手メディアもこの署名運動について関心を示し、例えば『ルモンド』紙はこれをそれまで知識人への接近を図ってきた右派、すなわちネオリベラル的改革推進派の限界が露呈した瞬間と捉えた。他方、社会党などの左派は署名運動を支持はしたが、運動を回収する意図はないとの立場を明確にした。企画者側も既存の左右政党には捕らわれないとしており、その後署名参加者に送られているメールマガジンなどからは、同じく既存政党に捕らわれない左翼系の反ネオリベラリズム、オルターグローバリゼーション運動との接近が伺える。

  左右政党に捕らわれない問題であるというのは、SLR運動においても強調されてきたことであった。だが、とりわけ自然科学者達から始まったこの運動で興味深いのは、従来反発しあうものとされた「不採算部門切り捨て反対」組と「更なる国際競争力のための資金投下を!」と叫ぶ側の間での共闘が目下の所成り立っているという事実である。これまで、日本にしろアングロサクソン圏にしろ、ネオリベラリスム的な改革論理が研究・教育に浸透する際に引き起こされてきたのは、持たざる者と持てる者との間の分断であった。すなわち、そもそも商業的な利益を生むことが困難な人文・社会科学系及び一部の基礎科学系分野と、研究開発・特許取得などで市場の需要に応えることの出来る応用科学・工学系分野との間の分裂がほぼ不可避に引き起こされてきたのである。

 しかしながら今回、フランスではその両者が「未来の研究者達が不安定雇用に怯えないですむこと」という実に具体的かつ反ネオリベラリスム的な共闘目標を見いだし集結することが出来たのだった。それが可能になったのは、恐らくはフランス独自の事情、すなわち近年の右派政権による過激な政策に加え、そもそも民間からの研究資金が少なく国家が頼りであること(2)、研究者及びポスドクの給料が諸外国に比較して非常に低額であることなどがそこでは強く作用しているのであろう。そしてこの文脈の違い故か、SLRや運動参加者の発言、ならびにそれを受けた各メディアの分析を見る限り、諸外国の現状に対する彼等の評価はやや表面的なものに留まっている。例えばアメリカや日本における研究資金の豊富さには単純に羨望の眼差しが向けられる。問題孕みな日本の独立行政法人化にしても、柔軟で実り多い産学連携を容易にするものとして単純に評価されてしまっている。

 とはいえ、自然科学者、人文社会科学者、そして労働組合、芸術関係者、教員、学生、失業者…とこれまで資本の力で分断を余儀なくされてきた集団同士が出会い連帯する空間が成立していることの意義は大きい。また、その際にこれまでの長い運動の歴史が培ってきた言説の蓄積が生かされているというのは特筆に値すべき事だろう。今彼等をつないでいる主要なキーワードの一つ、「雇用の不安定化」(précarisation)はフランスで歴史的事件となった95年冬の大ストライキを始めとする様々な抗議行動で用いられてきたものであった。


5.今後の展望

 3月18日、デモ行進の前日にシラク大統領からSLRに解答書簡が届けられた。予想通り、2004年末に研究行政の方向性と計画を定めるための立法を行うという以前からの提案を繰り返すなど実質的な内容には乏しいものであり、21日の地方選挙の前には議論を進めたくないという政府の意図は明確であった。これを受けてSLRは「抵抗行動に入る」ことを宣言した。現在、両陣営とも今後の対応を模索するべく水面下で着々と様々な準備を始めている。政府の側では国会や元老院(Sénat)がそれぞれ独自に研究問題を討議するための研究グループを構成しており、現在元老院サイトには「フランスにおける研究の将来を考えるためのフォーラム」が開設されている。他方、ボリューらの提案から始まったCIPは3月17日に最初の総会を行いSLRを含む32人のメンバーを承認した。更に彼等は4つのテーマ軸、すなわち「研究と社会」「国家による研究のオーガナイズ、投資について、また、公的セクターと民間、そして欧州それぞれの研究における役割」「研究所職員の地位」「業績評価」を設定し、それらを中心に各地で討論会を組織していくこと、同時に各テーマごとにSLRメンバーと外部の識者から成る委員会を構成することなどが定められた。この討論会の企画はそもそもSLR側に由来するためイニシアチブは全面的に彼等に委ねられることになっている。政府と「仲介者達」の間でSLRがどのような独自性を保っていけるのかがこれからの試金石となろう。そして、辞職した管理職研究者達は更なる行動---場合によっては研究所の占拠までも視野に入れた---に移ることだろう。動き出してしまったCIPという新しい試みと並行しながら、運動を徹底化させねばならない。このように彼等に残された課題は多く、ますます今後の展開からは目が離せない。

 昨日行われた地方選挙の第一次選は現政権与党及び右派にとって厳しい結果となり左派が躍進した。地方選とはいえ、現政権が何らかの対応を迫られるのは間違いない。新しい風は吹くのだろうか。



(1)Sauvons la Recherche, "9 mars, mode de l'emploi", 25 fév 2004 ; La voix du Nord, 9 mars.
(2)これは欧州全体の傾向でもある。米国では民間の研究機関に勤める研究者数は全体の80%を占めるが欧州では50%に満たない。

(本稿はARESER JP Newsletter、 No.2、 2004年3月23日号に掲載された。ウェブ掲載にあたり若干の修正が行われている)

隠岐さや香


続報:1月7日の結成から丁度3ヶ月目の2004年4月7日、第三期ラファラン内閣下での新教育相フランソワ・フィヨンが、「研究を救え」運動の訴えを全面的に受け入れるとの声明を発表した。その結果、550の常勤ポストと1000ほどの大学ポストという要求が実現することになった(詳細はここをクリック)。運動側はこの勝利を受けて、今後もフランスの研究が直面している問題に積極的に取り組んでいくと宣言した。現在 CIPと共に討論会の準備を進めている(2004年4月23日現在)。
リンク:
「研究を救え」ホームページ
CIPホームページ(2004年4月16日公開)